<未来を花束にして>

製作:2015年(イギリス) 監督:サラ・ガヴロン
出演者:キャリー・マリガン、ヘレナ・ボナム=カーター、ブレンダン・グリーソン

女性参政権を実現させた女性たちの映画です。現在、米国では「Black Lives Matter」運動が盛り上がっていますが、人類の歴史をさかのぼるなら女性の人権もないがしろにされていた時代がありました。「自分の権利は自分たちで奪い取るしか術がない」のはいつの時代も変わらないことを考えさせられる内容でした。

文芸春秋digitalというネット記事があるのですが、そこで経済学者の野口悠紀雄さんが「リーフブロック」という記事を連載しています。経済の歴史を学ぶには最適な記事ですが、ちょうど英国の産業革命からの様々な時代背景を読んだばかりですので、その記事と相まってとても興味深く観ることができました。

「Black Lives Matter」運動が盛り上がったことで、「13th -憲法修正第13条-」というドキュメンタリー映画に注目が集まりました。この映画はネットフリックスのオリジナル作品ですが、話が進むにつれて普段人間が感じている感覚の出どころについて考えさせられます。もう少し説明しますと、黒人差別は今現在でも社会のあらゆるところに染み込まされていることを浮き出させる映画です。

この映画は元々は有料で配信していたのですが、「Black Lives Matter」運動の盛り上がりに賛同して、無料で公開しています。米国ではこの運動に賛同している名だたる企業がたくさんありますが、ネットフリックスも同じ考えで無料公開にしたようですが、米国の懐の深さを示しています。

しかし、考えようによっては、それだけ懐が深い米国社会でありながら、今もって差別状況が存在していたことが不思議でもあります。制度やシステムをいくら改善しようとも、心の中に潜む差別意識を変えるのは容易ではないことを示しています。

「13th -憲法修正第13条-」を観ながら一番に感じたことは、人間が持っている「常識」という感覚のあやふやさです。一般に常識と捉えていることが、実はその時代までの慣習が作り出した雰囲気もしくは空気感でしかないことをこの映画は教えています。僕はこの感覚を「刷り込まれる常識」と感じましたが、「女性は参政権を持つ必要はない」という常識もそれまでの時代が作り出してきた賜物でしかなかったのです。

女性参政権が認められるまで、女性は政治に参加しないことが一般的で、そしてほとんどの人がそのことになんの違和感も抵抗感も持っていなかったのです。今の感覚からします、不公平・不平等の極みですが、その当時は当然のことすぎて、反発心を持つことさえなかったのです。それどころか、不公平・不平等を訴えることのほうが非難の対象となっていました。この映画でも、主人公たちは周りの人たちから白い目で見られています。

女性参政権を求める女性運動を男性が非難するのはわかりますが、女性の中にも非難・批判する人たちがいました。世の中の空気がそうした考えで充満していましたので、それが当然と思い込まされていたのです。「思い込まされていた」というよりは、思い込んでいたのです。

先日ネットで、「エホバの証人」を信心している親に育てられた人が、洗脳から覚醒するまでを書いた記事を読みました。その方はあることがきっかけで洗脳から解かれたのですが、普通の人は一度洗脳されてしまいますと、そこから脱出するのは容易ではありません。

女性参政権がなかった時代に生きていた人たちも同様だったように思います。「女性が政治に参加するなんて」と洗脳されていたのです。それを思うとき、立ち上がった女性たちの凄さ、すばらしさを感じずにはいられません。

それでは、また次回。

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