「痛み」

製作:2011年(韓国)
監獄:クァク・キョンテク
出演者:クォン・サンウ、チョン・リョウォン、マ・ドンソク、

痛みを感じなくなってしまった、社会にとけこめない青年と血友病を患いながらも社会の片隅で必死に生きている女性のラブロマンスです。女性が最初に住んでいる場所が、ビルの屋上の掘立小屋のような部屋なのですが、この場面を見て思い浮かんだのは萩原健一さんが主演していた青春ドラマ「傷だらけの天使」でした。

本当のところはわかりませんが、「傷だらけの天使」以来、ビルの屋上のうらぶれた小屋はアウトローが住む場所の定番になっているのではないでしょうか。そんな気がしました。

それにしても韓国という国のエンタメ業界は活気があります。僕自身がアマゾンプライムで韓国映画を観ていることが関係しているのかもしれませんが、韓国の映画はほとんどが一定レベルを超えているように思います。主演のクォン・サンウさんの演技も素晴らしかったですし、顔の造り的には僕の好みとは違っていましたが、チョンさんも魅力的な女性を演じていました。

世の中ではイケメンをソース顔と醤油顔に分けますが、クォンさんは醤油顔の理想的な顔立ちのように思います。イケメンはどんな髪型にしようともその髪型に似合った雰囲気を醸し出すのが特性ですが、クォンさんはまさにズングリ頭でも立派なイケメンになっていました。

しかも、演技をしない素のままの表情でもそのときの感情が伝わってきたところが秀逸でした。僕はこのコラムで常々書いていますが、演技力のある人は演技をしないのです。「演技をせずに演ずる」。これが本当の実力者です。

似ているシリーズとしてアップもしましたが、クォンさんの上司役のマ・ドンソクさんは元文部科学省の官僚として「ゆとり教育」を推進していた寺脇研さんに似ていると思いました。寺脇さんは文部科学省の官僚でありながら、ということはエリート教育を受けてきた身でありながら、「詰め込み教育」に批判的で、「ゆとり教育」を提言していました。

90年代後半の頃ですが、しかし、「ゆとり教育」は社会から批判されることが多く、寺脇さんは2000年に入る頃には「日本の教育を崩壊させた張本人」と批判されることもありました。教育の世界は本当に難しく、そのときどきの社会状況で理想とする形が変わることがあります。

寺脇さんが「ゆとり教育」を推進したのは、それまでの「詰め込み教育」が行きづまっていたからです。その弊害として「おちこぼれ」が社会問題化もしていました。それを是正する意図もあり「ゆとり教育」に方針を転換したのだと思いますが、社会からはあまり受け入れられなかったようです。

僕が高校時代ですから、かれこれ40年以上も前ですが、当時は暴走族が社会問題化していました。暴走族とか不良が出てくる背景には「おちこぼれ」問題があったと思います。「詰め込み教育」方式で無理やり、とにかく決められた範囲までは終わらせる授業をしていますと、やはりどうしても「ついていけない」おちこぼれが出てきます。

もちろん、家庭環境などが大きく影響していますが、「詰め込み教育」方式で先生が生徒個々人の家庭環境まで立ち入るのは不可能です。そうしますと、そのあとに起きるのは「おちこぼれ」です。そして、「おちこぼれ」同士でつるむようになります。

「痛み」の主人公も家族を事故で失ったあと、周りからいじめられたことがきっかけで少年院に入ることになり、そこから転落の人生が始まっていました。「おちこぼれ」がなくなることは、本来ですと社会にとっても意義があることですが、競争社会の中では「おちこぼれ」を作ることが自分が勝ち残っていくための必要要件となります。

競争社会では「おちこぼれ」はなくてはならない存在です。今の時代は「分断」が社会を混乱させている、と問題視されていますが、「分断」とはまさしく「おちこぼれ」を作ることです。その「おちこぼれ」社会の純愛を「痛み」は描いています。

状況が悪ければ悪いほど純愛度は高まります。その意味でこの映画は純愛度がとても高く感動したのですが、今ひとつストンとこなかったのは「タイトル」です。製作側の意図としては「いろいろな意味」での「痛み」を表現したかったのだと思いますが、ここは「冬のソナタ」のように純愛に焦点を当てた「タイトル」のほうがよかったように思います。

また、次回。

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