「百日告別」

製作:台湾(2015年)
監督:トム・リン
出演者:シンミン、ユーウェイ、レンイー、シンティン

この映画は台湾の映画なのですが、なぜかamazonプライムでは台湾の映画をラインナップすることが多いように感じます。以前も台湾製作の男女が結婚する物語を見たことがありますが、日本や欧米の映画に見劣りしないレベルです。それよりも前回と今回の映画を観て感じたことは、出演している男性の俳優さんがイケメンではないことです。普通、俳優さんは顔の造りがそれなりにイケメンなことが多いですが、僕が観た台湾の両方の映画に出演している男優さんは、「ごく普通」の顔でした。(ちなみに、女優陣はみなさん美人ぞろいでした)

だからと言って「魅力がない」ということでは決してなく、反対にイケメンでないからこその魅力があふれていました。映画の内容は多重交通事故で愛する人を亡くした、全く関係性のない男女それぞれの亡くした日からの百日を描いています。ですので、「百日告別」というタイトルなのかもしれませんが、見方によっては仏教の映画ともいえそうです。

その理由は、映画の中で「初七日」とか「四十九日」といった仏教で使われる用語がたくさんでてくるからです。ですが、映画の中では亡くなった女性がクリスチャンという設定になっており、どちらの様式で葬式をするかで揉める場面も出てきます。ですので、仏教色の強い映画というわけではありません。おそらく台湾で普通に暮らす人のお葬式に対する感覚を中立的な視点で描いている感じです。

この映画がほかの映画と最も違う点を挙げるとするならば、「ドラマティックでない」ことです。普通の映画は、男女が出てきたなら、その二人が出会い、いろいろな障害がありながらも、最後は結ばれるというストーリーです。その過程には必ずドラマティックな展開があり、それが観る人の心を動かします。ですが、この映画は、そのようなドラマティック的な展開が全くありません。

なにしろ主人公二人が出会う場面がほとんどないのです。約2時間の映画ですが、主人公の二人が会話をする場面は5~6分しかありません。ほとんどは、それぞれ別々の話として展開しています。ですから、主人公二人の熱愛物語ではなのです。あくまで「愛する人を失った悲しみ」を乗り越えるそれぞれの生活を描いています。それが、物足りなさでもあり、魅力でもあります。どちらに感じるかは、人それぞれでしょう。

この映画を観ていて印象に残ったのは、沖縄を旅行する場面があったことです。前回観た映画でも日本を訪れる場面がありましたが、もしかしたなら、台湾映画では日本のどこかの景色をどこか一ヶ所入れるのが流行になっているかもしれません。そんなことを思いました。

あと一つ印象に残っている映画の場面があります。それは、台湾の人と日本人は「感性が同じなんだなぁ」と思わせる内容でした。最愛の人を亡くした人に慰めの言葉をかける周りに人の言葉の使い方についてです。映画では、周りの人の無神経さを批判する意図がありましたが、僕は以前似たような話をなにかの記事で読んだことがあります。

ある落語家さんがお父様を亡くしたあとに、たまたま楽屋で一緒になった師弟関係のないお師匠さんの話ぶりについてとても憤慨していました。

その落語家さんがお師匠さんに「父親が亡くなった」ことを伝えますと、そのお師匠さんはお悔やみを言ったあとに、「実は、俺もこのまえペットを亡くしてな」と話を続けたそうです。その落語家さんは「自分の肉親とペットを同格に扱ったこと」に怒りを感じたそうです。

「ところ変われば品変わる」と言いますが、台湾の方と日本人の感性は「ところが変わっても」同じようです。やはり、同じアジアということが影響しているのでしょうか。

今の時期に台湾と聞いて真っ先に頭に浮かぶのは、やはり中国との関係です。現在、香港では民主活動家の方々が裁判で有罪判決を受けていますが、台湾も他人ごとではないはずです。映画を観る限りでは、一般の人々が生活するうえでは緊迫感がないようですが、ニュースなどでは台湾と中国の対立が伝えられています。

アメリカは覇権国家として世界に君臨してきましたが、「アメリカン・ファースト」を前面に出した時点で「覇権国家」としての資格を失ったように思います。経済的軍事的な側面からしますと、次の覇権国家は中国がなりそうですが、覇権国家になるには民主国家は最低条件で、さらに周りから認められる必要があります。その意味において、今のままの中国では覇権国家の資格がないように思います。

最後は、政治的なお話になってしまいました。すみません。

それでは、次回。

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