ラビング 愛という名前のふたり

製作:2016年(イギリス・アメリカ合作)
監督:ジェフ・ニコルズ
出演者:ジョエル・エドガートン、ルース・ネッガ

人種差別を批判する映画ですが、製作された2016年といいますと、トランプ大統領が当選した年です。大統領選は11月ですので、トランプ氏が当選したことと関係ないと思いますが、因縁めいたものは感じます。

この映画は1950年代のバージニア州を描いていますが、南北戦争で南側に属していたそうで、黒人差別が当然のように行われていました。日本人の僕からしますと、人間を肌の色で差別するのはどう考えても「悪いこと」と思いますが、バージニア州に住んでいた当時の白人の人たちは「当然のこと」と考えていたようです。

映画の中でも出てきますが、白人のごくごく普通の人たちは「白人と黒人は人種が違うのだから、差別をするのは自然の摂理で、神の意志でもある」と心の底から信じていました。大昔のことではなく、1950年代のことです。

ナチスがユダヤ人を迫害したことに対しては、ほとんどの人が「悪事」と認識しています。ですが、その同じ時代に米国はもちろん世界各地で黒人差別が行われていました。それが不思議です。白人の人たちは自らのダブルスタンダードになにも罪の意識は感じなかったのでしょうか。

しかし、この映画が描いている時代から70年が過ぎた今でも黒人差別は行われています。表面的には差別をなくすような制度改革が行われていたとしても、差別意識は社会の根底に澱のように染みついています。そうしたことを証明したのが、今年起きた警官による黒人殺害事件です。

今年の大統領選でもトランプ支持者たちは、黒人差別を助長しているかのような雰囲気を醸し出していました。また、トランプ大統領は先の黒人殺害事件の警官を擁護するかのような発言もしています。大統領がこのような姿勢でいるなら、社会から黒人差別がなくなるはずはありません。

アメリカという国を語るとき、「古き良き」という修飾語がつくことがありますが、この映画を観ていますと、「古き良き」とは「差別を肯定する」と同義語のようにも感じました。白人にとって「古き良き」アメリカは、黒人にとっては「差別される」アメリカということになります。

言うまでもありませんが、支配する側にとって暮らしやすい社会は、支配される側にとっては虐げられている社会です。今まで何気なく聞いていた「古き良きアメリカ」ですが、こういう時代があったことを知りますと、素直に受け取ることができなくなってしまいます。

現在でも差別が大っぴらに行われている例と言いますと、インドのカースト制度があります。僕がコロッケ店を営んでいたときに、たまにインド人の方が買いに来てくれていました。年のころは30代半ばくらいですが、最初は旦那さんが一人で買いに来ていて、それから奥さんも一緒に来るようになり、次第に奥さんが一人で買いに来るようになりました。

ある日その奥さんが買いに来た時に、バッグを店頭の台に置いたのですが、そのバッグの中から日本語を勉強する参考書が見えました。奥さんは週に数回日本語の講座に通っていたのですが、そうした姿勢から察するとこのご夫婦はインドではエリートに属する人だと想像できます。こうした人を見ていますと、今一つカースト制度があることが想像できません。

僕の想像では、カースト制度が現在もあるにしても社会の中で大っぴらにあるのではなく、人々の心の中の奥底に潜んでいるものと思っていました。ところが、先日読んだネット記事によりますと、2016年時点で人口13億人の中の2億人が最下層の人たちだそうです(正確には、カースト制度の外にいる最下層の人たち)。しかも心の中の奥底にあるのではなく、実社会の中であからさまに差別をされているのでした。

このような現実を知らされますと、インドという国がさらにわからなくなります。米国のIT業界にはインド国籍の方々がたくさんいます。それだけ教育レベルが高いことの証ですが、その同じ国に人間扱いされていない身分の人たちがいることは異様でしかありません。

人口の多さから考えますと、今後の世界においてインドが世界の中心地になる可能性もあります。しかし、それを実現するには差別を廃絶することが必須要件です。そんなことを考えさせられた映画でした。

また次回。

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