ラストディール美術商と名前を失くした肖像

2018年製作/95分/G/フィンランド
監督:クラウス・ハロ
出演者:ヘイッキ・ノウシアイネン 、ピルヨ・ロンカ 、アモス・ブロテルス

あらすじ
生涯を美術品にささげ、家族は二の次だった美術商のオラヴィに、全く連絡を取っていなかった娘から連絡があり、問題児だという孫息子のオットーを数日間だけ預かって職業体験をさせてほしいと頼まれる。引き受けてすぐ、彼はオークションハウスで作者不明の肖像画に一目ぼれする。肖像画がロシアを代表する画家イリヤ・レーピンの作品だと知ったオラヴィは、落札するための資金集めに奔走する過程で、娘とオットーの思わぬ過去を知る。

この映画は絵画のことを描いているようでいて、実は親子関係を描いています。アクションややり過ぎの感動物もいいですが、この映画のような穏やかなヒューマンドラマも、いいものですねぇ。そんな気分にさせてくれた映画でした。

フィンランドの映画ですが、フィンランドでも銀行融資に際しては担保が大きくものをいうのがなんか不思議な気がしました。日本でも30年ほど前から、銀行の融資の際には、いわゆる「担保主義」だからの脱却が求められていました。ですが、金融の先進国であるはずのフィンランドで今でも担保主義が行われていることに、ちょっと驚かされました。

映画の後半で主人公が美術店を閉める場面が出てくるのですが、その場面を見ていましたら、僕自身のラーメン店を廃業するときのことを思い出してしまいました。僕は自分が廃業したとき、かなり落ち込んで気分で感傷的になっていたのですが、後年振り返ってみますと、「感傷的」な自分に酔っていた感が無きにしも非ずという気持ちに変化していました。

つまり、「本当はお店を閉めることはそれほど落ち込むことでもない」ということですが、実際、のちにコロッケ店を閉める際は、さほど感傷的になることもなく粛々と閉店手続きを進めていたように思います。僕が、ラーメン店を閉めるときの自分の気持ちを「感傷に酔っている」と思うようになったのは、北野武さんの交通事故が関係しています。

北野武さんはバイク事故で重傷を負い、一時芸能活動を休んでいた時期があります。ケガが一応治って記者会見をした際に、後遺症によるあまりの外見の変化に会見場の雰囲気がざわついていました。具体的に言いますと、視点が定まらずどこを見ているのかわからない状態だったのです。そうしたたけしさんを見た芸能記者の方々が驚きのあまり、たけしさんを気遣い励ましの言葉を発していたほどです。

たけしさん自身も命の境目をさまよったことにより、「人生観が変わった」などというような発言をしていました。ですが、後年、たけしさんはその発言を後悔しています。たかが交通事故で命が危険に晒されたことぐらいで、人生を悟ったような気分になった自分自身を恥じている、という後悔でした。

たけしさんのその発言を聞いて、僕もラーメン店を閉めたときの自分の心境に疑問を感じたのでした。「あれ?、僕、そのときの状況に振り回されてた」と思った次第です。本当は「たかが小さなラーメン店を閉めるくらいで、落ち込んでいてどうすんだ」が本来持たなければいけない気持ちでした。僕よりも大々的に起業をした人でもうまくいかず、苦しんでいる人もいるのですから、僕程度の失敗で落ち込んでいては恥ずかしい、と思わなければいけなかったのです。

親子関係でも自分に当てはまりそうな場面がありました。僕も商売がうまくいかず子供たちに迷惑をかけていましたので、主人公と同じ気分になりました。もしかしたなら、僕の子供たちも、この映画の主人公の娘さんと同じ気持ちなのかもしれません。恐ろしくて聞くことはできませんが…。

というわけで、自分自身のとても当てはまる部分が多い映画だったという感想の映画でした。僕の結末もこの映画のようになればいいのになぁ…。

それでは、さよならさよなら。

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