太秦(うずまさ)ライムライト

2014年製作/104分/G/日本
監督:落合賢
出演者:福本清三、山本千尋、本田博太郎

「面白そう」と思って選んだのですが、思っていた以上に面白く、「感動」さえしました。最初の予想では誠に失礼ながら、低予算で適当といってはなんですが、それほどきちんと作られていないイメージを抱いていました。しかし、実に丁寧に本格的に作られていました。

勝手なイメージを抱いたのは主演の役者さんが、無名な方だったからです。自分の先入観のレベルの低さに失望しています。映画のはじまり部分でも紹介していますが、チャップリンの「ライムライト」という映画を思わせる内容になっています。人間はだれしも年をとりますと、肉体的にも精神的にも衰えていきます。そうした人間の宿命をつづった映画ですが、今の時代に働いているほとんどの人にあてはまるのではないでしょうか。

俳優さんという職業は、会社員ではありません。今ふうのいい方にしますと、非正規社員という身分ですが、非正規の方々の一番の不安は仕事が常にあるとは限らないことです。最近は「雇止め」という言葉を聞くことが多々ありますが、なんの補償もなく、ある日突然に仕事を打ち切られることがあります。非正規社員の方々はそうした不安を抱えながら働いています。この映画の中での主人公は大部屋俳優という設定なのですが、まさに非正規社員の実情と悲哀を描いている映画といえます。

「時代の移り変わり」とは、時代劇が大衆に求められなくなっていることを指しています。まさにITがビジネスの世界にどんどん取り入れられている中で、ITを使いこなせず取り残される中高年の状況と同じです。

「肉体的な衰え」もこの映画での重要な要素となっていますが、老いるとは肉体が動けなくなることを意味します。普通の正規会社員でも年齢を重ねたことによる肉体的衰えが原因で、業務に就けなくなることがありますが、正規会社員の場合は配置換えなどといった工夫が行われることもあります。基本的に正規会社員は法律によって守られていますのでいいのですが、非正規社員の場合は単に首を切られるだけです。生活の不安が常につきまとっています。

それはさておき、映画には物語の最初に出てくるエピソードが最後の場面につながる展開になっていることがままあります。そうした展開が感動を与えることがありますが、この映画では「女優さんがかんざしで主人公の髪の乱れを整える場面」がそうでした。終わりに近づいた場面で「主人公の髪をかんざしで整える場面」を見て、「おお!」と思ったのですが、実はこの映画にはもっと大きなテーマが映画の根底に流れていました。

当初はそれに気づいていなかったのですが、映画の最後がその映像で終わったときに、ようやっと気づきました。

この映画の肝は「イナバウアー」です。「切られ役」のすべてがあの反り返りに込められていたのです。切られ役にふさわしい映像で、とても感動しました。

それではまた。

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