シー・セッドその名を暴け


2022年製作/129分/G/アメリカ
監督:マリア・シュラーダー
出演者:キャリー・マリガン、ゾーイ・カザン、パトリシア・クラークソン、アンドレ・ブラウアー、ジェニファー・イーリー、マイク・ヒューストン、

解説・あらすじ
映画プロデューサーのハーベイ・ワインスタインによる性的暴行を告発した2人の女性記者による回顧録を基に映画化した社会派ドラマ。

ニューヨーク・タイムズ紙の記者ミーガン・トゥーイーとジョディ・カンターは、大物映画プロデューサーのワインスタインが数十年にわたって続けてきた性的暴行について取材を始めるが、ワインスタインがこれまで何度も記事をもみ消してきたことを知る。被害女性の多くは示談に応じており、証言すれば訴えられるという恐怖や当時のトラウマによって声を上げられずにいた。問題の本質が業界の隠蔽体質にあると気づいた記者たちは、取材対象から拒否され、ワインスタイン側からの妨害を受けながらも、真実を追い求めて奔走する。

アメリカってこういう映画を製作できるところが強みだよな、って思わせる映画でした。そうではあるのですが、トランプ元大統領も似たような告発があったのですが、そして、裁判まであったにもかかわらず、逮捕どころか大統領にまで上りつめたのが不思議でなりません。正直な気持ちとしては、トランプさんが一定の支持を得ているアメリカというのはやはり落胆をせずにはいられません。

この映画の主人公はニューヨーク・タイムという新聞の「調査報道記者」という立場なのですが、僕の感覚からしますと、新聞記者に限らないのですが、「記者」という職業はすべての人が「調査報道」をしているという認識があります。それをわざわざ「調査報道」とつけているということは「調査」をせずに報道している記者もいるのでしょうか。

日本では「コタツ記事」という言い方がありますが、「調査」などせずにコタツに座って記事を書いていることを意味しています。実は僕は「コタツ記事」もあり、と考えているのですが、それはポータルサイトは基本的に世の中に出回っている記事から選別をして報じることが役割と思っているからです。ですが、それはあくまで「ポータルサイト」だからのことであって、本来の記事は「調査」をして書くべきものと思っています。

話は少し逸れますが、かつて日本では総理大臣のお金の流れに注目が集まった事件があります。いわゆる「ロッキード事件」ですが、この事件では当時の田中首相の「田中金脈」が問題になりました。それを暴いたのは週刊文春の立花隆さんですが、それが記事になり新聞などでも大きく報じられるようになりますと、「そんなことは以前から知っていた」と語る新聞記者の人たちがいました。

普通の常識で考えるなら、「知っていたなら、どうして報じなかったのか」と恥じる感覚が出てくるはずですが、そうしたいわゆる「番記者」の方々はそうした常識をなくしていたのかもしれません。

トランプ元大統領の側近は、かつて「もう一つの真実」という表現をして顰蹙を買ったことがありますが、マスコミが報じる真実は、やはり一つでなければいけません。そうでなければ、国民はなにを信じていいのかわからなくなります。

この映画は政治の世界ではなく映画界で君臨していた大物プロデューサーの話ですが、ちょうど今日本ではジャニー喜多川氏の性加害が問題になっています。この事件が公になるきっかけはBBCという英国のテレビ番組が製作した番組ですが、外圧がきっかけというのはなんとも情けない気がします。

日本のジャーナリズム、ガンバレ!

それでは、さよならさよなら。

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